2012年8月17日金曜日

山中利子詩集『空に落ちているもの あたしのためいき』



  わたしとシロくん
  
シロくんが わたしのお兄ちゃん    
シロくんは玄関の敷物(しきもの)の上にいる  
ごわごわした白い毛のむねにもたれて わたしは眠る  
母さんの夢を見る
母さんは どこかでわたしを見ている
 
どこなのか 探し続ける  
 暗い森   
大きな木
   
 藪をくぐり 明かりをさがして  
 母さん 母さん  と呼び続ける  
 探しても探しても 見つからない  

 藪の中で  光るものがわたしを見ている  
 気がつくと  シロくんが わたしをぺろぺろとなめている
 光っていたのは  シロくんの茶色の目    
 目を覚ましたわたしは  シロくんのしっぽと遊ぶ  
   パタリ パタリ     
 動くしっぽに狙いをつけて   
腰を高く上げて  おしりをふって
 スリッパの陰から  
 (ねら)い定めて飛び(かか)る    

 シロくんはゆっくりと   
 何時までも
 パタリ パタリ   
 しっぽを振り続ける (わたしはサクラから)
 

 




「詩を書くおばあさん」の詩――山中利子小論

「詩を書くおばあさん」の詩――山中利子小論   

 子ども向けの詩を専ら書く詩人とはいったい何者だろう? 子どもの感覚と生活感情に即した詩は誰にでも書けるものではない。どう考えても、ごく選ばれた少数の児童文学者であり、同時に特別な素養をもつ詩人だけに可能なことだ。彼等は子どもに読んでもらうために詩を書いているのだろうか。実際にはそうではないように思える。むしろ、彼等の書く詩は子どもの目、子どものことば、子どもの世界から多くの詩想を得て、自ら子どもの世界に遊ぶかのように思われる。彼等のごく少数は子どもの頃の思い出をつい昨日の出来事のようにありありと覚えているようだ。
自ら「詩を書くおばあさん」と自認する山中利子もどうやら子どものための詩人として選ばれた一人である。子どもの生活感情と感覚に即した詩集として、山中利子の『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』(リーブル・一九九六年)ほど見事な世界を私はほかに思い浮かべることができない。

ねむるとき

おじいちゃんとおばあちゃんの まんなかにねる
おばあちゃんはわたしをだいて
せなかをとんとんたたく
わたしがねむってしまったとおもうと手は
とまる
ふたりはしずかに話をしている
「まなべのとくさんは どうしたろう」
と おばあちゃんがいう
「とくさんは 死んだよ」
と おじいちゃんが答える
「やきちさんは たっしゃだろうか」
「上野村のやきちさんも二年半まえ死んだ」
「そんじゃ おしずねえさんは」
「おしずさんはなあ どうしているか
死んだかもしれねえなあ
わしより 四つも上だから」
ふたりは死んだ人のことばかりかぞえあげて
そろって
「なんまんだぶ なんまんだぶ」
と ひくくつぶやく
死んでしまった人たちが
わたしの上をいったりきたりする

子どもは大人よりも早く寝なさいと言われて、寝床につくがなかなか眠れない。そんな子どもの上をいったりきたりする死者は本当の出来事のように感じられる。最後の二行は付け足しではない。単なる子どもの夢想として扱われていないのだ。

さて、この詩集は、孫である幼い女の子がおじいちゃんとおばあちゃんの三人で過ごす日々を一人称で語る連作である。したがって女の子にとって「意味」があることしか描かれない。それは大人から見ると取り立てて意味のないことばかりで、電灯のひもの影が虫に見えたとか、学校にいくのがいやだとか、おばあちゃんのお餅を返す手の素早さだとか、ダダをこねて大の字になると空がきれいとか、野原でへびを怖がりながらオシッコしたとか、せきどめの薬と称してのまされたナメクジがおなかの中を散歩するとか……そういう出来事ばかりである。しかもどこかしらとんちんかんである。いつの時代の、どこの村で、女の子は何歳で、どうして祖父母といっしょに暮らしているか、というようなことは一切書かれていない。おじいちゃんもおばあちゃんも「わたし」もただ生きているだけにすぎない。懸命に、それなりに、ただ生きている。事件らしい事件もないのだが、おばあちゃんが死に、おじいちゃんが死に……、それも女の子にとっては「いなくなった」だけのことにすぎない。おじいちゃんは「ありがたい」と言って死んだという。この詩世界では死ぬことも「ありがたい」ことなのである。空の雲のかたちが変わるように出来事は坦々として描かれるが、世界はそのまま何も変わることはない。

山中利子は昭和十七年生まれ。五人兄弟の三番目。敗戦直後の食糧難の時期に一人だけおじいちゃんおばあちゃんのもとに預けられたという。『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』が詩人自身の幼時の思い出をもとにしていることは間違いないだろう。敗戦後の数年間は特別な時期で、日本は占領されて、平和と民主主義の国に大転換させられる。忠君愛国者の虚脱や餓死もあれば、今日一日生き延びれば儲けものという大いなる楽観もあった。詩集にはそういうことは一切描かれていないが、描かれた世界がこの世のどこにもない場所、無可有郷のように思えてくる背景には、やはり大人も真っ白になった特別な時期ということがあるかもしれない。

『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』は連作なので散文と詩の中間を行くような文体の作品があったが、他の詩集を読むと山中利子の詩はかっちりとまとまりのよいものが多い。また一つの大きな傾向として、子どもの空想をそのまま差し出したようなお伽話のような詩が多い。
「雲ってハンカチよりもっと大きい/ハンカチは今/雲の上にチョコンと乗っかって/私が行って腰をおろすのを/待っている//風といっしょに/あそこまで行ってみようか」(「風とハンカチ」部分)
愛するべきはこうしたお伽の世界であり、子どもらしいお伽話こそ読者を現実の桎梏から解放し、喜ばせる。お伽話は山中利子の詩の大きな要素である。
また山中利子の詩はモラリストの詩でもある。
「すきだってことは/たべちゃいたいってことなんだって//ライオンは しまうまを/うさぎは クローバーを/とうさんは かあさんを/すきなんだよ」(「すきだってことは」部分)
そのものズバリの詩である。「すきだってことはたべちゃいたいことなんだって」ならば、最後の「とうさんは かあさんを」にドッキリ。だからモラルに反すると愛のない性教育論者のように短絡的に考えてはならない。単純この上ない性愛の事実をこうして素敵な詩として表現できることは、逆に、山中利子の詩が極めて道徳性の高い詩であることを意味している 。
そして言うまでもなく山中利子の詩はユーモアと遊び心を何よりも大切にしている。

本来、子どもは融通無碍なものだ。かつて重症心身障害児専門の訪問看護婦であった山中利子には大人がどれほど苦しみながら子どもを愛するか、そして子どもを愛することで大人がどれだけ救われるのか、まざまざとその目で見てきたことだろう。いかに「無常」であろうとも「虚無」であろうとも、いわゆる「生活詩」や「社会」、「教訓」、「人生」といった方向に山中利子のベクトルはない。そんなものとは無縁に山中利子の詩の中にいる子どもは遊びつづけるだけだ。それこそが子どものための詩人として選ばれた証だと言える。
子どもの世界のなんと大きくて広いこと。子どもの世界は、狭い社会で苦しむ大人の考えを遙かに超えた大いなるいのちの源であり、豊饒な詩の世界そのものである。

追記 山中利子は第五詩集『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』で第三回三越左千夫賞、第七詩集『遠くて近いものたち』で第二十七回新美南吉児童文学賞を受賞している。