2013年6月4日火曜日

  内村剛介「スターリン獄の日本人-生き急ぐ」より


何が恐ろしいといって、深夜墓地をあばいて屍体を剥ぐ亡者の姿ほど恐ろしいものはなかろうと少年の日に想像してはおびえたものだが、今こうして生身の人間から金歯を抜く様を見てみれば、このほうがよほどすさまじい。手ごめという日本語がなぜか金歯剥ぎにぴったりあてはまる。
 剥ぎ取られるほうはもはやあらがう様子もないのに、このあわれな男の口の中へ木の端が押し込まれこじくりまわされる。歯茎はとうのむかしに破れ、男は血にむせんでいる。むせぶたびに、抵抗する気かと責められ、血だらけの木片で目頭をなぐりつけられる。口から目から髪まで血だらけだ。
  内村剛介「スターリン獄の日本人-生き急ぐ」より
当局の審問は判決があったのちもつづく。それは拘禁の全期間にわたる。この審問は精神の糧をも奪い、かくしてついにみずから進んで隷従するところの「奴隷の心性」をつちかうことを目的としている。だから囚人はみずからの精神の糧を守り、養い、これを当局に向けざるをえない。この精神の糧をめぐるたたかいはことばにはじまり、ことばに終わる。(作者の情況メモより)

*****************

内村剛介は敗戦後シベリアに抑留。
スターリンが死ぬまでラーゲリに政治犯として拘禁されていました。
身体はすでに囚人であり、奴隷である。
完全な支配はその精神の隷従を求めている。
それはいかにしてそのものの抵抗する精神の糧を奪い取るかにある。
その上で、
「この精神の糧をめぐるたたかいはことばにはじまり、ことばに終わる」
ここに、ことばのなんたるか、文学の何たるかが示されています。