2016年1月18日月曜日

新井 和詩集 『木苺探しに』 


家族への思いが溢れる ふるさとのものがたり 

   新井 和詩集 『木苺探しに』 
A5判上製 本文128頁   定価:本体1200円+税 
2015年 12月25日発行
  著者 新井和は埼玉生まれ。詩集に『おばあちゃんの手紙』。やわらかな社会批評や時代への風刺を含む独自な詩作を展開。本書は第二詩集となる。               ISBN 978-4-905036-11-1C0092
ご注文は直接、四季の森社までメール、FAXまたはお電話でお願いいたします。

 ※人生のはるかな夢路 いくつもの記憶をたぐりよせ 生きることの真実と哀愁をゆるやかに奏でる詩編たち(菊永謙)


《内容紹介》


  ひいおばあちゃん

 

おばさんから

ひいおばあちゃんが

もうながくはないだろう と

知らせてきた

 

お母さんが

ひいおばあちゃんのだいすきな

まぐろのおさしみをもって行った

 

おさしみを小さくきって

ねているひいおばあちゃんの口へ

もっていくと

ほほえんで

顔の上で手をふった

 

少しでも というと

小さく口をあけた

おさしみをいれてあげると

口をもぐもぐさせながら

ぼくの顔をみて枕をたたいた

おばさんが

枕の下からがまぐちを出して

千円くれた

 

ひいおばあちゃんは

あんしんしたように目をつむった

のどがむぐっとうごいた

 

 

  おキミさん

 

山かげの雪も解けて 鎮守様の祭りがくるとおキミさんがくる 麦畑の道に ドテラを着て 菰を背負ったおキミさんの姿が見える 鎮守様の前を通って 私の家に突き当たるまでに数軒の家がある 一軒一軒それぞれにまわってくるので 私の家につくのは三十分ぐらいあとである

 

おキミさんは 両手で耳をふさいで 怒ったような顔をしていた

――キミちゃん よくきたない――

と母が言うと 恐い顔が にこっと笑った

蓬餅をあげると 嬉しそうに帰っていった

 

ある雨の日 お裁縫をしている母に聞いた

――おキミさんは どうして耳をふさいで

 いるの――

母はお針の手を止めて ため息をついた

 

――おキミさんはな お大尽のひとり娘でな 荷車三台もの大荷物をもって さるお大尽にお嫁いりしたんだと そしてな 赤ん坊が生まれてすぐ死んでしまったんだと おキミさんは悲しんでなあ 気が狂ってしまったんだと それで実家に帰されたんだと いまでもな 赤ん坊の泣き声が聞こえるんだと だから ああして耳をふさいでいるんだと――

 

鎮守様の祭りが来て暖かくなると 家をはなれ 夜は 橋の下や 神社の縁の下に泊まって 物を貰って歩くおキミさんのくらしがはじまる カラスウリの赤い実が 野山をかざるまでつづくのである

 

 

つゆ草の花

 

八月に入って間もなくのころだった。

自転車で通勤の途中 線路ぎわの道にさしかかると有刺鉄線のフェンスの中につゆ草の花をみたような気がした。勤務先は直ぐ近くだが 止まって確かめるほどの余裕はなかった。帰りには花はしぼんでしまったのか跡形もなかった。

 

翌朝その場所を通り過ぎるとき スピードを落として目を凝らして見た。草むらの中に ちいさなつゆ草の花が一面に咲いていた。

「うれしい」

思わず声をあげた。

空を仰ぐと つゆ草の花で染めたような空が広がっていた。

 

幼い日 魚つりをする兄の近くでつゆ草の花を摘んだ。

「かず ごはんよ」

母が呼ぶまで。

摘んでも摘んでも翌朝はいっぱい咲いた。

夏の朝の日課のようなものだった。

 

その母はもういない。兄は 話すことも 歩くことも できなくなって 老人ホームにいる。

 

十月はじめ半年ぶりに兄を訪ねた。

車椅子のかたまりのなかに兄を探したが見あたらず 部屋にはいるとベッドに寝ていた。呼んでも 頬をさわっても目を開けなかった。頬はこけ 面長な顔がいっそう長く見えた。

 

朝晩急に寒さを感じるようになった十月のなかごろ つゆ草の花が見られなくなった。兄の命のようで淋しかった。

 

十月二十九日は 母の命日だった。その日が近づくにつれ 私は 母が兄を迎えに来てくれるような気がしてきた。兄もそのほうが幸せなのだ。そしてひたすら二十九日を待った。

 

二十九日のまえ 三日ばかり 汗ばむほどの暑さがもどり そのせいか 三十日には 小さいつゆ草の花が ぽつり ぽつりと咲いていた。昼ごろなのにしぼんでいない。不思議な気持ちで見つめていると

「もう少し めんどうみてやって」

母の声が聞こえたような気がした。

 

 

  つくし

 

十五歳の春

お別れにみんなですわった

利根川の土手

 

終戦から五年

つぎのあたった国民服

色あせたセーラー服

 

向かう進路に笑顔はなく

不安をかくせない顔

 

あれから六十年

わたしは毎年

三月には土手にのぼった

ふるさとに残った者のつとめのように

 

今年も一人そこに立つ

つくしが勢ぞろいして待っていた  

 

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